【本】『故人サイト』で見える「死」のかたち
故人サイト | ||||
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内容(「BOOK」データベースより)
更新直後に殺害・ツイート直後に事故死。リアルタイム闘病記録・自殺実況中継・ファン巡礼慰霊碑サイト。それは遺書なのか、あるいはダイイングメッセージなのか!?漂い続けるネット墓標を徹底調査!!
「死を知る」
この本の「はじめに」の
死はインターネットで学べる。
知ることは後ろめたいことではない。
大切にするということは、腫れ物扱いすることではない。――心からそう思うのです。
ここの部分を読んで、今まで故人サイト(管理人が死んだサイト)というのは「オカルト」としてある意味肝試しのように恐る恐る見に行くイメージで、後ろめたさがあったりしたのですが、それでもどうして気になるんだろうという気持ちの答えを見た気がします。
自覚しているしていないに関わらず、「死」を知ろうとしているのかなと。
自分がどう死ぬかはまだわからないのですが、もし余命を告知されたら等、今まで考えないようにしていたことを改めて考えさせられる本だと思います。
毒キノコを食べたり毒虫に刺されて死ぬ時の様子を詳細に書くのは役に立つというけれど、病気になったら医学的に珍しいものじゃないと意味がないのかなとも思ったりします。
でも医学的に役に立つ立たないではなく、やはり死というものは一人当たり一回のものだから何か残したいと思うのかもしれません。
永遠に残る墓標を作るなら
昔、『インターネットで墓標とか生きた証を作るならどういう形が良いだろうか』という話を知り合いとしたことがあります。
とりあえずレンタルサーバーとか有料なのはダメだね、とかGoogleのBloggerなら大丈夫かなとか言っていたのですが、
ジオシティーズのサービスが終了して色々なサイトが消えていったこと、ブログサービスではないですが、Google Readerが突然終了したことからどんなサービスでも終了する可能性はあるということがわかりました。
それで「人に語り継がれれば残るのでは」という話になって毒キノコを食べて死ぬ時の様子を詳細に書くとか派手なウェアを着てエベレストに登るとか色々な「証」を考えたりもしたのですが、結局答えは出ませんでした。
「残す」のではなく「残ってしまう」時代
結局、インターネットでの墓標の残し方を話してから今まで何回か死にかけたことはあったのですが、その時に記録を残そうという気持ちにはならなかったです。
この本によると故人のサイトのほとんどは長い時間軸ではサービス終了によって消えていったり、荒らしにあってしまったりという結末が多いようですが、次の記事を見ると短い時間軸では「残す」のではなく「残ってしまう」時代になってしまったのだなぁとも思います。
www.digimonostation.jp
それぞれの章の終わりに、著者ならではのサイトの調査の仕方についてのミニコラムがあるのですが、「消滅サイトのルーツや変遷はInternet Archiveで調べる」「数年分のサイトの調査は記念日探しからスタートする」など、故人サイトを追う側の人間でなくても役に立ちそうなものがありました。
また、サイトの画像と本文が見開きで見られる工夫がされていて、そのためにやや文字が画像が小さくなってしまってますが、雰囲気が十分伝わると思います。